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秩父川瀬祭その1 天王柱立て神事のはじまり

秩父川瀬祭その1 天王柱立て神事のはじまり

秩父川瀬祭に行ってきた。 この写真は宵宮の天王柱立て神事に集まってきた山車。 全部で八基あった。 これらが町々を練り歩く。  

 

オゴオゴを見つめる少女

オゴオゴを見つめる少女

父親の肩に乗ってオゴオゴを見つめる少女。 悪鬼たちの姿はどんな思い出になるのか?  

 

祈り

祈り

ウブドの交差点でブタカラのお祭り。 明日からニュピになる。 人の祈る姿は清々しい。  

 

ウブドの十字路

ウブドの十字路

はじめてバリ島に行ったとき、街中にある石像に興味を持った。 少し大きな石像は必ずといっていいほど供物が捧げられていたり、布で覆われたりしていた。 ただそこに置かれて放置されている石像ではなかった。 内側に命のようなものを隠し持っているような雰囲気があった。 何度も通うとそこに命を吹き込む儀式にときどき出合う。 これはウブド宮殿前の交差点での写真。  

 

二人の僧侶

二人の僧侶

バリ島のお祭りで二人の僧侶が読経している。 ときどき鈴を鳴らし、読経の声は静かに流れる。  

 

蓮の華

蓮の華

泥沼から起き上がり 美しく咲く。 なぜ泥で汚れないのか? 大自然には不思議がいっぱい。 なぜ花が咲くのか? なぜ光合成するのか? なぜここにいるのか? これからどこに行くのか? これらの答えはあるようでなく、 ないようである。 原子は生きているのか? 生きてないならなぜ分子になるのか? 生きてないならなぜ分子が連なって生命になるのか? 生きてないなら命は何からできているのか?

 

ビサ・アンビル・フォト? その2

ビサ・アンビル・フォト? その2

ピサ・アンビル・フォト? についてはこちらに書いたが、こう話しかけることでいろいろと考えさせられる。 たとえばこの写真では、6人の女の子が写っている。6人に対して「ビサ・アンビル・フォト?」と言った。 ところが2人が後ろを向いてしまっている。「写りたくない」という反応なのだろう。「こっちを向いてよ」と言って良いものかどうか迷う。でも、細かいニュアンスまで伝える自信がないのでそのままシャッターを切ってしまった。日本人だとたぶん写るならみんな一緒にと思うのではないだろうか? 写りたくない人は写らなくてもいいんだけどね、いろいろと考えちゃうでしょう?  

 

闘鶏

闘鶏

バリ島の闘鶏は有名だが、なかなか見る機会はない。 かつては祭りのたびにおこなわれ、男達は競って賭博をした。いまは賭博は法律で禁じられた。 写真は賭博はなされていない。お祭りの付帯イベントとしての闘鶏。 足に刃物がついていて、どちらかが死ぬか音を上げるまで続けられる。 負けた方は祭りの供物になる。  

 

男子の沐浴

男子の沐浴

田んぼの水路で沐浴していた男の子二人。 将来色男になりそう。  

 

ブサキ寺院

ブサキ寺院

すべての存在に感謝をいたします。 わたしたちはすべて宇宙に起きている現象です。 原子がつながり物質が現れる。 そのつながりは時とともにうつろい、 一瞬たりとも同じつながりは保てません。 そのうつりゆくつながりのなかで、 僕は僕となり、空は空となり、草木は草木となり、神殿は神殿となっています。 なぜそのようなつながりが生まれ、 なぜそのようなつながりとして目の前に現れ、 なぜまた新たなつながりとして移りゆくのか その深い理屈はわかりませんが、 目の前の出来事は理解できます。 当たり前のように見えているこの世界がすべて 当たり前のものではなく、 この一瞬にしかない奇跡のような輝きであること。 僕が作る些細な足跡でさえ、 実は宇宙の要素が、ある星に形作った、貴重な作用の結果であること。 そのような結果がつながり巡って、あらゆる出来事を僕たちに見せてくれていること。 そのことに気がついてしまった僕は、 すべての存在に感謝せずにはいられません。 僕を生み出した父よ、母よ、日本よ、地球よ、宇宙よ、 そして連なり続く永遠の営みを生み出す神秘の力よ。  

 

いかにもバリな風景

いかにもバリな風景

熱帯の草木が生い茂るでこぼこ道を三人乗りのバイクが進んでいく。 塀は赤煉瓦。 電柱と電線、そしてよろずや。 いかにもバリ島的な風景。    

 

ビサ アンビル フォト?

ビサ アンビル フォト?

バリ島に行くと写真を撮りまくる。 そのときに言う言葉、「ビサ アンビル フォト?」。 「写真を撮ってもいいですか?」 バリの人たちにこういうと、たいていはにかみながら整列が始まる。 このときは下校途中の小学生に声をかけた。 写ってくれてありがとう。