2017年3月11日
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ある春先の水曜日。
散歩から帰った天使と海馬に、犬たちが言った。

「おかえり! あれ、天使さん、
おデコ真っ黒だけど、どうしたの?
花咲か爺さんとこの手伝いでもしてきたの?」

「あぁ、灰、ハイ…いいえ、違うの、花咲か爺さんじゃなくて…
塗られてきたの…」
物思いにふけりながらぼんやりと答える天使に代わって、海馬が
‘つい先程の出来事’まできびすを返すやいなや戻り、説明を始めた。

天使は教会に行ってきた。 今日は‘灰の水曜日’といって、
イースター=つまり復活祭、に向けて準備期間に入る日。
これからの約40日間、キリストが辿る受難と死を思い、各々
日常を顧みて、慎みや節制を持って過ごしたりする、始まりの日なのである。

人々は司祭から「あなたは塵から生まれ、塵に帰る者」という言葉と共に
額に灰を受ける。 ほんの数秒間の儀式なのだが、これが天使にとって
毎年、何か深く、大きなけじめのような思いを抱かせるのだ。

「灰を塗られると、この自分もいつか死んで土に帰るんだ、って
まざまざと自覚させられる思いがするの、命の巡りを考えさせられるの。
灰になる命のはかなさ、でもそれが生み出す果てしない豊かさ。
灰は、命の終わりの形であり、新しい命の始まり…
そんなことを思うと、全てがただただ神秘で…」

「うーん。 そうか…」感慨深げに犬が答えた。
「そういえば、花咲か爺さんとこの桜も、そう考えると
あれは元々、死んだ仲間のポチだった。
ポチの墓標に立てられた小さな木が大木になり、
その大木が切り倒されて臼になり、
臼はかち割られて薪になり、薪は燃やされて灰になり、
灰は土に撒かれて桜の木にたくさんの花を咲かせている。」

姿形は変われども、命は豊かに巡っている。
何となく、誰からともなく土を見、空を見上げて
祈りと感謝の気持ちに浸る一同。

あの桜の木にも、もうじきまた、たくさんの花が咲く。

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